現3年生 冬期講習 <国・算2科目>
12月25日(水)・26日(木)
冬期講習の学習内容を範囲として、1月11日(土)・12日(日)に入会試験を行います。(いずれか1日のみ)
合格点は、国算各100点満点合計200点中100点が目安となります。
※当日都合のつかない方は別日に予約を受け付けます。
現3年生 冬期講習 <国・算2科目>
12月25日(水)・26日(木)
冬期講習の学習内容を範囲として、1月11日(土)・12日(日)に入会試験を行います。(いずれか1日のみ)
合格点は、国算各100点満点合計200点中100点が目安となります。
※当日都合のつかない方は別日に予約を受け付けます。
<各学年の曜日と時間>
2年生 (水)16:30~18:05
3年生 (水)16:30~18:05
4年生 (火)(木)16:40~18:00
5年生 (月)17:15~20:35、(水)(金)17:15~19:30
6年生 (火)(木)18:10~21:00、(土)13:00~18:55
2024年9月から2025年2月までの行事予定です。
以下のリンクよりご覧ください。別ウィンドウで開きます。
※このカレンダーはあくまで予定です。社会情勢により、変更が生じる可能性がありますので、最終的な日程は、月々の龍馬通信で確認をお願いします。
※この他に、千葉県主要校の学校説明会や親のためのセミナーなどが入ります。日程は決定次第龍馬通信で発表します。
最終更新:2024/09/26
2024年2月から8月までの行事予定です。
以下のリンクよりご覧ください。別ウィンドウで開きます。
※このカレンダーはあくまで予定です。社会情勢により、変更が生じる可能性がありますので、最終的な日程は、月々の龍馬通信で確認をお願いします。
※この他に、千葉県主要校の学校説明会や親のためのセミナーなどが入ります。日程は決定次第龍馬通信で発表します。
最終更新:2024/06/13
龍馬はもうすぐ25歳になる。
最初の卒業生は37歳になるということだ。
中学受験を業とする塾が10年続くのは1%にも満たないと言われている。こんな小さな塾が25年も続いたのは奇跡なのかもしれない。だからと言って、飛躍的に大きくなったわけでもない。
いっこうに大きくならないのは、ひとえに僕の一般受けしないやり方に起因する。
それでも、僕にとっての龍馬は、自分の人生とほぼイコールであり、宝であり、ちっぽけながらも誇りでもある。
四半世紀を迎えるにあたって、小さな塾の小さな歴史を皆様にも遺していき、龍馬という塾が何故残ってきたか、何故一般受けしないかを知ってもらうことが、塾紹介の一番の方法だと、新しいページを開設することにしました。
題して、「時の過ぎゆくままに」(笑)。
2023年11月24日
龍馬進学研究会主宰
安本 満
◆NEW◆
九月からの体制交替に備え、棚の整理をしていたら、懐かしい記事が出てきた。「センター通信社」が発行していた受験雑誌の記事である。今から20年以上前のものであり、まだ僕も40代半ば。龍馬4年めのものである。逆に目新しいので載せておきます。2003年4月のイベントです。
記事は以下のリンクよりご覧ください。別ウィンドウで開きます。
愚かな親と賢い親 ②
誰だってよく考えればわかることである。ところが、中学受験生をかかえている親御さんは、どうも旧態依然とした教育論にしばられたまま、子どもを虐待してしまっているように思える。そういう思い込みの根拠は何なのかしっかり答えられる親御さんがどれくらいいいらっしゃるのか、疑問を感じざるを得ない。
「自分の時代はそうやって教わったから」
「学校の先生がそうおっしゃっているから。(もしかしたら、塾の先生も)」
という考え以外の根拠がしっかりあるのなら特別反対しようとは思わない。しかし、「学校教育の在り方におかしな所はないか」、ひいては「大人の常識におかしな所はないか」と考えるのが、本当の大人の役割なのではないかと思う。
僕が聞いた話では、小学校の筆算は定規を使って線を引くという。漢字は、あいもかわらずトメ、ハネ、ハライ、そして筆順である。
筆算に関しては、僕の時代(半世紀以上前)にはない指導法である。何か変だなと思いながらも、学校がすることだから間違いではなかろう、あるいは仕方がない、と考えてしまっていないだろうか。
考えるに、筆算とは、暗算で計算しにくい数字を、速く正確に解く方法であり、学習する価値があるものとして認識していた。難しいものではない証拠に、小学校低学年から習えるものだ。定規を使って書くというのは、どうにもその認識と矛盾する。親御さんの中にも疑問を持たれた方は少なくない。だからといって抗議されたという話も聞かない。モンスターペアレンツの時代といっても、やはり大多数の親御さんは公教育に敬意を払って、黙って従っていらっしゃるのだろう。あるいは諦めていらっしゃるのか……。
僕の塾では、「親セミナー」を開講していて、その中で「国語のできる子とできない子」というテーマの回がある。
「できる・できない」の前に、「国語が好きか嫌いか」というのがある。セミナーはそこから始めるのだが、実質的に言いたいのはここなのである。題して、子どもが国語嫌いになる三つの方法(笑)
その一、漢字のトメ・ハネを注意する。
僕の塾では、4年生のうちに6年生までの必修漢字を全て終わらせるが、初めはそんなペースでやれる訳がないと思っていた親子が、三ヶ月もすると普通のことのように思うようになっている。それくらい子どもの脳は覚えることができるのである。ところが、それにストップをかけるのが実は親なのである。「トメ・ハネ・ハライがダメ」とか「書き順がおかしい」とか正論のように注意しだす。すると、子どもはもう「たった一字でもこんなに面倒くさいのなら、もう漢字の練習はやりたくない」となってしまう。
トメ・ハネ・ハライも筆順も、実は習字からきている。美しい字を書く方法なのである。その昔、僕等の時代(現66歳)は、もちろんそうであった。ワープロもパソコンも全く普及していない時代である。美しい字が書けるというのは、それ自体社会的に長所であり、重宝される特技として認められていた。しかし、今の子どもたちが社会に出る頃、美しい字が書けるかどうかを問題にする人がどれほどいるだろうか。トメ・ハネ・ハライに気を配り、筆順をいちいち覚えることに膨大な時間をかけることが、中学受験生にどれほど必要なことだろうか。子ども達が大人になる頃字は書くものから打つものに変わっているはずだ。にもかかわらず膨大なむなしい時間を強いてしまっていないだろうか。「社会に出てから必要なくても、受験には必要でしょう?」そんな馬鹿馬鹿しい勉強をさせることが親の役目だと思っているとしたら、馬鹿親と言われてもしかたがない。
トメ・ハネ・ハライは、くり返し学習しているうちに何とか形になってくるものだ。その前提である「覚え、読む」という作業に親が「完璧」を求めて、やる気をそいでしまってどうするのか。聞いてみたい。あなたは、トメ・ハネと筆順の注意を受け、バツ書き十回を命ぜられた少年・少女の時代を懐かしく思いだすことがありますか?と。もし、自分が面倒で嫌だったと思うのであれば、漢字を学習しないわけにはいかないから、せめて自分たちの時よりも合理的な学習法を与えてやるのが本当なのではないか。自分たちが嫌だったことと同じことをやらせるためには、それが心底役に立ったという確信がなければならない。「美しい字」を書かねばならない時代が終わろうとしている今、旧態依然の学習法を強要しているとしたら、大人(日本)は教育劣等者(国)、時代錯誤と呼ばれても当然であろう。
ちなみに、先日九歳違いの二人の開成合格者が来た。二人共、漢字のトメ・ハネは意識してなかったと言い、親から強制されたこともなかったという。文字の役割は、相手に自分の意図を伝えること、相手の意図を理解すること、である。二人は、無意識的に国語にとって何が一番必要なのか分かっていたのかもしれない。お世辞にも「美しい字」を書いていなかったし、僕もとがめたりしなかった。
その二、辞書を引きなさい。
「わからない言葉があったら、辞書を引いて自分で調べなさい」
これは常套句であり、「正しい国語の勉強法である。」と信じて疑わない大人がなんと多いことか。
僕が塾業界に足を踏み入れて四十年の月日が経つ。その間、大きく変化したことがある。中学入試の国語の問題が難化していることだ。文章難度は、大学入試かと見間違うほど高度になり、しかも長文化している。やっかいなことに、今の時代は子どもの国語力は三十年前と比べて、著しく劣化しているというのにだ。
子どもに辞書を引かせるように指導するようになったのは何故か、という根本にたち返ってみよう。
昔、日本が貧しかった頃、両親も年上の兄姉も小学校を卒業すると、ほとんどが働きに出ていた。年長者が子どもの勉強を教える時間などなかった。そういう時に、自学自習にとても便利なものとして辞書は重宝された。自分所有の辞書などない時代でも学習意欲のある子どもは学校の図書館に通ったのであろう。
僕の時代は家所有の辞書はあった時代になっていたが、その頃の僕は、学校の宿題等で「辞書を引いて調べる」というのは苦痛でしかたなかった。国語という科目は嫌いではなかったのだが、どうにも面倒くさいことは避けて通りたかった。おそらく、現代の子ども達は、より一層面倒に耐える力はないだろう。
僕は、国語力の六割は語彙力で決まるという確信を持っている。今の子ども達の語彙力は二十年前の半分と言ってよいだろう。そこへ持ってきて文章レベルの高い問題を練習させられる。どんどん国語が嫌いになっていってもしかたがないように思う。
小学校の教科書とはレベル違いの文章だから、知らない言葉はページにいっぱい出てくる。いちいち辞書を引いていたら、いやになるのは当然だ。第一、小学生対象の辞書には載っていない言葉ばかりだ。かといって大人用辞書で調べれば、今度は書いてあることを理解できないことが多い。
言葉を獲得する一番は、大人との会話である。家庭の事情にもよるが、その昔との大きな違いは、大人がそこまで忙しくないことだ。
赤ちゃんは、母親から「パパ」「ママ」「ワンワン」と教えられて言葉を覚えていく。わからない言葉を教えてやったらいいのだ、いちいち辞書を引くまでもない。忙しい受験生をより忙しくするのはナンセンス。もともとそうやって言葉は獲得するものなのだ。高校生になって、言葉の意味を知りたくなったら、自分から辞書を引く(今の時代はスマホで調べる)だろう。悠長な徒労を課しているに過ぎない。
子ども達に何もかもムダを省かせるのが正解だとは思わない。むしろ、今の時代、ムダだと思われていることほど大人になって必要なことはたくさんある。しかし、過大な要求をされている中学受験生にもう必要としない苦役をさせるのが正しいと盲目的に信じている親は、もう一度よく考えてみることである。
そして、もう一度自分に問いかけてみよう。
「私は何故子供に中学受験をさせようとしているのか?」
子どもが国語を嫌いになる、「その三」は、次の機会があれば。
思う所あって、断り続けてきた執筆活動をやることにしました。
不定期ですが、連載する予定です。この記事は9月17日に「現代ビジネス」のネットニュースで流れました。8月に依頼されたのが「夏休みの勉強法」。9月に出すのは変だと思ったので「夏休み勉強法の答え合わせ」のつもりで書きました。初めてのことだったので編集者との行き違いが起こってしまい、随分不本意な内容のまま載ってしまいました。
今回はオリジナル原稿を載せ、ネットニュースがどう変わったかを覧ることができるようサイトに飛べるようにして見ました。興味ある方は、違いをみつけてみて下さい。
アンポン 拝
愚かな親と賢い親 ①
夏休みも終わり、中学受験生達は、天王山と言われる塾の夏期講習を終え、一息ついたところだろうか。
僕の塾では毎年、
「『一生のうちで、六年生の夏ほど勉強した夏はなかった』という思い出を作る夏にしろ。」
というのがスローガンである。今現在はとても辛い。なんでこんなことしなくちゃいけないんだろうと思っている受験生がほとんどだろう。しかし、やがて成長していくうちに、苦しい勉強に全身全霊をかけた四十日がなつかしく思い出され、自分の一生の宝物になる日が来るのなら、それこそが親が子に与える最高のプレゼントだということができる。僕は、中学受験は親が子に与える最高のプレゼントだと思っている。そのハイライトが“六年の夏”だということだ。いつでもそうだが、せっかくのプレゼントをよけいな挫折や不幸に変えてしまうのが他ならぬ贈り主の親である。何のための中学受験なのかを浅くしか、もしくは全く考えないまま、「あなたのためよ」と「押しつけがましく強いた結果が、子供の人生のトラウマにしてしまう。結果がうまくいかなかった時、「この経験をあなたにしてほしかった」と言える親だけが、最高のプレゼントを贈ることのできる親である。
子どもが成長して大学生になった時、
「うちの親はヒデーよ。中学受験の時、突然ゲームを取り上げて風呂に沈めて、ニタッと笑いやがったんだ。ほかの友達がゲーム三昧で楽しくやっているっていうのによ。」
これは実話である。皆さんはこの発言をどのように思われているだろうか。僕には親を非難しているというよりも、むしろ自慢して感謝してるようにしか聞こえない。友達にわざわざ話すということは、ほかの親とちがってうちの親は常軌を外れて厳しかったということを自慢しているのだ。“優しい”という言葉が幅をきかせている昨今、むしろ本当の思いやりを親に感じている証ではないだろうか。
何年か前、すでに社会人に成長した教え子二人が訪ねてきて、一杯飲んだ。その時、
「おまえたちにとって、中学受験はどういうものであったか」
と、問うた時、間髪入れず返ってきた答が、
「青春でした。」
だった。塾屋として、最高の言葉をもらった自分は、絶句。言葉にできない幸せを感じた時だった。
閑話休題。夏休みの答え合わせ。必ずしもこのやり方が正しい訳ではないから、参考程度に読んでもらいたい。
一概に、世間は超難関校合格体験者のやり方を手本にしようとし、塾もまたその成功者を模範とすることを推奨したりする。しかし、その成功者は多く見積もっても全体の一割を占めているに過ぎない。残り九割の受験生には真似しようにも真似できない話なのである。
超難関校合格の子どものパターンは次の二つに分類できる。
A、たいして勉強しなくても、ほとんど授業中で解決してしまう。
B、常人では考えられない努力を、もともとあった能力にプラスしていく。
Aタイプの話は、九割の子どもには参考にならない。当然みなさんBタイプの子どもの話を参考にしようとする。
ところが、Bタイプの子どもの真似をしようと思っても、実はほとんどうまくいかない。
それは、AタイプもBタイプも共通点があって、どちらも「もともとあった能力」が下敷きになっているからだ
僕は保護者会でも授業でも「勉強が好きな子は変態である」という話をする。別に性犯罪者だといっているのではない。子どものほとんどは勉強が嫌いで当たり前だという話をしているのだ。
それなのに、世の受験生の保護者は、「うちの子は受験生としての自覚がない」と、その情けなさを叱り、嘆いているのである。
まず、そこから考え直してほしい。普通の子どもは勉強が嫌いであることが前提であるということ。6年生は、11歳~12歳なのであり、そんな子どもが〝自覚〟して当然だと思っていることが、そもそもおかしい。「勉強」とは、「勉め、強いるもの」なのだ。嫌でもやらせる必要があるのは、前提に嫌がって当然のものという認識があるからだ。
AタイプBタイプの子には、もともとそれがない、もしくは少ない。だから、九割の子どもが参考にしようとしても、ほとんどうまくいかないのは当然だ。
野球やサッカーの天才は皆素直に認めるのに、何故か勉強に関しては、「努力しさえすれば何とかなる」という神話が残っている。心の中では、「生まれつきの能力」とか「遺伝」という言葉を理解していつつも。
僕は「天性」や「遺伝」があるから、努力してもムダだと言っているのではもちろんない。誰しもがよく考えればわかることだが、努力の仕方は、それぞれ違うということだ。一人の成功が、マニュアルになる訳がないということだ。。
僕の塾では、毎年6年生に対して個別面談と個別課題を各々に伝える。その達成具合が夏の成果となる。それにはいくつかの基本原則がある。親というのは、何か多くの課題を出されるとホッとする人が多い。自分がやる訳でもないのに課題の山を見て、
「この夏は頑張るぞ!」と意気込む。実際にやってみると、全く思うように進まず、親子で終わらない課題の山を前に絶望感に押しつぶされ、泣き崩れる……。これはよくあるパターンだ。大多数がそうであると言ってもよい。
原則一、夏の課題は、できる範囲のものをできそうな内容に絞ってやっていくこと。
たとえば、うちの塾では月例テストという算数150点満点のテストがある。満点近い子もいれば、40~50点くらいの子もいる。それなのに全ての子に150点満点を要求する復習の課題を出していたら、それは〝平等〟の履き違えか手抜きの課題である。もし、そのテストが平均点75点だったとすれば、40点~50点の子は平均点までもっていくための努力をさせるべきだ。全問やり直しの課題を出せば、当然できない子は解答丸写しというまさに提出のためだけの課題となるのは火を見るより明らかで、ムダな時間の代表となる。
テストでは、どこの塾も正答率表というものを出しているはず。この正答率50%の所まで復習させれば、少なくとも平均点は上回る得点になる。それなら、やる気も出るし、達成感もあるだろう。多すぎ、難しい課題をやらせるのは、九割の子どもにとってなんのメリットももたらさない。ただムダに時間をやり過ごすだけの夏になるのである。
原則二、夏休みの一日の自習時間を五時間までとすること。
一日中勉強するのが受験生の自覚だと信じて疑わない親御さんに問う。自分でそんなに勉強できますか。塾によって夏期講習の塾滞在時間は異なるであろうが、わが塾は13時~19時まで授業、9時~12時半自習室を開放している。これだけで、10時間勉強しているのに、残り一~二時間はさらに家庭学習でやらなければならない。まさに一日中やっているのである。やれる時間とできる内容に絞ることが絶対である。
今年のエピソードを1つ。6年生から入塾した生徒のお母さんから電話で相談があった。
「あのう、国語の読解力を伸ばすにはどうすればよいでしょうか」
「この夏に国語の強化ですか?最も効果が薄い話ですよ。時間のロスになります。何よりも受験の決め手は算数です。算数に時間をかけるべきです。」
「その算数の文章題の意味が分からなくて困っているんです。やっぱり国語力をつけなくてはと思って。」
「算数の問題をやって質問することです。読解力を鍛えてからでは間に合いません。今、そんな時間がありますか?」
「先生から一日五時間までと言われたのですが、算数だけで五時間かけても終わらず、とても他科目まで手が回りません。親子で毎日泣いています」
「それなのに、さらに国語の時間を増やす相談ですか?児童虐待ですね。」
こういうケースは少ない訳でもない。
目標を高く持つのは悪いとは言わないが、できないことをできると思ってしまう大人になってはいけないと自問してほしい。
アクセスレポート(アクセス教育情報センター発行)
2021年3月31日号より
塾訪問 龍馬進学研究会(2月12日)
今回は、大手塾在籍中はカリスマ国語教師と言われ、龍馬進学研究会を立ち上げてからは子ども、保護者から授業だけでなく、その生き様にも圧倒的な信頼を得ている龍馬進学研究会主宰の安本さんにお話を伺いました。
龍馬進学研究会 安本さん
浅見:塾に携わって何年になりますか。
安本:中学受験に携わって36年。その前の塾経験を含めれば38年になります。龍馬進学研究会を立ち上げてからは22年になります。
浅見:なぜ、塾で教えるように。
安本:映画の助監督をしながら、脚本家になりたいという希望がありました。学生の頃、脚本のコンクールに入選したこともあり、その気になっていたのですが、当時は映画業界が不況で最低の時で、仕事がないこともあり収入面で生活が厳しく、アルバイトとして塾で教えるようになったのがキッカケです。塾のアルバイトによる収入がよかったこともあり、徐々に塾に重心が移り、大手塾Aの講師を経て、龍馬進学研究会を立ち上げ現在に至っています。
浅見:脚本家を志望していたというのを聞いて、龍馬進学研究会という塾の見せ方や運営にその一端が表れていると感じますね。
安本:そうですか(笑)。確かにそういうところがあるかもしれません。
浅見:たとえば龍馬のポスターは独特ですよね。ポスターの中にドラマを感じます。
安本:最初から映画のポスターみたいなのを作ろうというのがありました。塾のチラシとかポスタ
浅見:龍馬が普通の塾と違うという印象を持ってもらうことになったと思います。しかし、なかなかこういうポスターを作ろうという発想は出てこないと思うのですが。
安本:お金がないので目立つ方法を考えるしかなかったんです。成り上がり商法。
浅見:これだけ長く塾の世界に身を置くことになったのは金銭面だけではないと思いますが何故ですか。教える面白さを感じてですか。
安本:うーん、それもあったと思いますが、何でこんなに塾にはまったのか忘れてしまいましたね(笑)。龍馬を立ち上げてからは塾を運営すること自体、人間としての挑戦になっているかもしれません。
浅見:大手塾Aが千葉に進出してくるときに津田沼戦争と言われていました。
安本:自分が入ったときはその2~3年後でもう落ち着いていましたね。
浅見:その時からずっと国語を教えているわけですか。
安本:自分にはそれしかできませんでしたから。
浅見:小学生対象の中学受験塾でどんな国語の授業をしていました。
安本:最初の頃は上位クラスではなく、国算クラスの担当でしたが、国語というより子どもたちに人生や青春を語っていたように思います。何年か前に還暦祝いで当時の卒業生が来てくれて、「アンポン(安本)といえば青春だ」と言っていましたから、そんな話をしていたんだと思います。かまやつひろしの「我が良き友よ」という歌の中に「子ども相手に人の道 人生など説く男」という歌詞がありますが、いい歳して青春を語る時代錯誤が子どもたちにとって面白かったのかもしれません。でも、お仕着せの教材ではなく、自分でプリントを作ったりしていましたから、教えることへの情熱もあったのでしょうね。対象は小学生でしたけれども小学生扱いしないで話をしていました。だから40歳ぐらいになった教え子に君たちにとって中学受験とはなんだったと聞いたときに「青春でした」と答えてくれたのは嬉しかったですね。現在、50歳近くになる彼らに何らかの影響を与える存在だったのかと思うと、今から振りかえるとすごいことだったと感じます。当時は自分もまだ独身で青春だったのでしょうね。
浅見:相手が子どもだからと話のレベルを子どもたちに合わせずに話しているように思います。
安本:そういうことができないのですね。建前で話すことが下手(笑)。それは保護者に対しても同じです。
浅見:中学受験で教えている人たちの中には、相手が小学生だからと甘く見て対応している人が多いように思います。
安本:その子の人生を預かっているというのが基本的に自分の中にあります。龍馬になってから特にそうです。大手塾にいるときは、国語科の中で自分がどの位置にいるかを考えていましたが、龍馬を立ち上げてからは4科目でこの子をどう合格させるかを強く意識しています。自分だけが前面に出てはいけないというのが変わってきたところです。大手塾の時はいい結果が出れば俺のおかげだみたいな我が物顔でしたが、今はこの子にとってどうしたらよいかというのが先にきます。責任を強く感じるようになりました。その分、1日1日がシンドイと感じるようになりましたが、今までの自分の生活を支えてくれた仕事でもあり感謝の気持ちもありますから、もう少し頑張って続けて行こうと思っています。
浅見:安本さんは国語の読解力をつけるには人を好きになることだということを言っていましたね。
安本:それが卒業生の青春の話にもつながっていると思います。恋をすると相手の言動に敏感になる。それが、文章に描写されている言葉やしぐさから人の気持ちを読み取ることにつながる。
最近は、「AIが発達してくるとどれだけ算数ができてもそれは機械に取って代わられてしまうが、人の気持ちがわかるということはなかなか取って代わられないだろう」ということを話しています。どういう人が役に立つ人かと言えば、1つは、長い資料を読む時間が無いからまとめておいてくれと言われたときに、どれだけ要点をまとめられるか、つまり理解力の高い人です。もう1つは人の気持ちがわかることができる人間ということです。この2つが世の中のリーダーに求められるだろうということを伝えています。国語の勉強をする大切さはそこにあるということを言っています。
それも機械に取って代わられるかもしれませんが、自分はそういう思いでやってきましたし、自分が正しいと思ったことをやっていくしかできないと思っています。
浅見:龍馬を作って自分でやろうとしたのは何故ですか。
安本:大手塾Aに14年半いて、最初は自由にやれて面白かったのですが、だんだん組織化が進み、難関校に600人合格させるという数値目標が本部で決められ、それに沿って各教室にノルマが与えられてきました。600作戦とかいっても、難関校に600人合格させるためにどうするということが一切無く、ただ数字だけが教室に割り当てられることに対して、何だこれはと思いました。会社の営業ノルマみたいなものです。自分は、塾の講師はサラリーマンではないと思っていましたし、そういう組織の中でやっていくことは詐欺のように感じました。生活が安定しているから続けていていいのかという点で自分が納得できませんでした。
ムリやり有名校に受験生を向けるというより、講師の魅力で子供たちを育てたい。同じ仕事をするなら、そういう塾をやりたかったというのがあったと思います。ですから、龍馬の最初のチラシに「塾とは先生のことを指す。ぼくたちは会社ではなく塾を作りたかった」という一文を入れました。20年以上経ちましたがいまだにそれは守っているつもりです。
浅見:龍馬では受験する学校に関しては家庭に全て任せているわけですか
安本:津田沼という場所にいると受験する学校というのは大体決まってしまいます。自分は基本的には東京の学校を見ることを勧めています。でも最近は皆さん千葉の学校しか見ていないです。
千葉では選択肢が狭いし、受験日が統一されていないので、合格する子はいくつも合格するけれど、落ちる子は全て落ちるという形になってしまうわけです。大手塾Bでは受験指導の結果なのでしょうが、専修大松戸や芝浦工大柏などに進学が決まった子は恥ずかしくて進学先が言えないという歪んだ状況になっています。塾のコマーシャルにならない学校は勧めないから、そういう学校を受験する人は肩身が狭くなってしまう。これは不幸ですよ。自分が進学する学校を誇りに思えないというのは。
浅見:大手塾Cでは、普段の授業中から開成・麻布・武蔵・桜蔭・女子学院・雙葉以外は学校ではないというような言い方をして、子どもを煽っているという話を聞いた事があります。まさかとは思いますが。安本さんとしては幅広い選択肢の中から学校を選んでほしいということですね。
安本:そういう環境は作ってあげたいです。千葉の学校が難関校として定着してきたのはこの20年です。それまでは東京の学校の滑り止めだったわけです。この20年で偏差値が上がってきたので、入学者の学力は上がってきていますが、大学の進学実績を競っている状況で、学校の懐の深さという点ではまだまだのように感じます。
そういう面では、どこに何人合格させたかがいい塾のようにいわれる塾業界と似ていますよね。東大に何人合格を出したかがその学校の価値だと言っている間は学校側も受験生側も成熟していないということではないでしょうか。
今年から学校名が変わり共学になる学校の説明会に行った龍馬の保護者が「とても素晴らしかった」と言ってきたので、「何がよかったのですか」と聞いたら「○年後に東大に○名合格を出しますと言っていました」ということでした。思わず「お母さんしっかりしてください」と言いました。校名が変わり共学になる学校の最初のアピールがそれかと思うとがっかりします。
浅見:以前、埼玉のある私学が説明会や学校案内で6年後の大学実績がこうなりますというグラフを出して生徒募集に利用していたことがあります。誰も6年後にはそのことを覚えていないのでしょうが、当時の学校案内を保管しておいて、実際の大学入試結果と比べてみたことがあります。
安本:将来の構想を語るのはよいですけれど、6年後の大学合格の約束が学校のセールスポイントなら、予備校をやればいいんです。塾側の人間としてはそういう学校は疑ってかかるのが正しい判断だと思います。
浅見:中学入試の段階で、特別クラス選抜やコース制選抜を行っている学校もあります。中学入試の段階で、まして1回の試験で子どもの能力や適性を見抜くことができるわけがないのに。
安本:でも、そういう常識が受験生の保護者の中にないんです。よく考えてみれば1回の試験で東大だ医学部だの能力が測れるわけがないのはわかるはずです。にもかかわらず東大コースに合格すれば東大に受かった気持ちになってしまう保護者もいるわけです。それが中学受験のあり方を歪めている1つであるとも思います。やたら横文字を使ったコース名も気恥ずかしい誇大広告に感じます。
浅見:受験生側にも、この学校のこのコース、このクラスに合格したならその学校に進学させてもいいという保護者がいるのも事実ですね。
これまでの話の中にも出てきてはいますが、龍馬の特徴はどんなところですか。
安本:設立の理念として「塾とは先生である」と表明しているように、先生の水準を高く保つということがいの一番です。教室は受験勉強をするところではありますが、それ自体が部活であると思っています。自分たちは受験勉強という部活を指導しているわけです。
さらに特徴としては親が卒業生になるということでしょうか。
龍馬は塾としては昭和の名残を引きずっている塾だと言われます。ポリシーを変えず、時代に合わせることが出来なかったのが、逆に幸いして塾として続いているのかもしれません。
変化できなかったことが塾の特徴となり、そういう塾がいいと支持してくれる人もいます。
浅見:龍馬の説明会に来ると、龍馬の考え方に賛同している保護者の人が多いと感じます。
塾も私学も、その考え方に賛同する人が集まってくればよいのだと思います。
浅見:保護者の方にどんなことを望みますか。
安本:終始一貫言い続けてきたのは、皆さんは何のためにお子さんに中学受験をさせるのですかということです。それは究極的にはカッコいい大人にするためでしょうと。別の言葉で言えば一人前の人間にするということです。それが、何のために中学受験をさせるのですかと聞くと答えられないわけです。いい中学に行くため、いい大学に行くため、いい就職をするためくらいしか漠然と頭にないわけです。いい就職をして家を建てるのが目的だと最終的には家のローンを抱えるために勉強しているということになってしまう(笑)。
そういうことではなく、親がこの子をちゃんとした大人にする責任がある。そうすると、合格こそが受験の全てだという考え方がそもそもおかしいということがわかってもらえる。中学受験は一番落ちてもいい受験ですと話します。保護者会に来られたお父さんにこの話をすると納得してもらえる。お母さん方はそうは言っても落ちたら可哀想というふうになりますが。親として、落ちる経験をさせるために受験をさせるという気持ちを持っていてほしい。
浅見:自分も受験前に子どもたちに話すときに、落ちる経験もしてほしいという話をします。落ちて初めてわかることがたくさんあるわけです。受験を甘く考えていた、もっとしっかり勉強しておけばよかった、最後まで諦めずに入試を乗り越えることが出来た、親がどんな言葉をかけてくれた等々。もちろん、落ちたときは保護者とともにフォローはいたしますが。
安本:入室説明会でそういう話をすると、アンケートに、初めから落ちたときの言い訳をしていると書かれたことがあります。でも、入試前の壮行会に卒業生が応援に来てくれますが、みんな落ちた時のことを話してくれます。その苦しさや悲しみが自分を創っていくと知っています。これはすばらしい伝統だなと思っています。落ちることを自慢する塾なんです(笑)。
浅見:今、子どもたちと関わっている中での面白さはどんなところですか。
安本:面白さとは少し違うかもしれませんが、信頼されていることに対する責任感、使命感を感じます。自分たちを信じてくれている子たちにどう応えていくか。それが面白いということですかね。
今は、自分たちへの信頼に対する責任がキチンと果たせているかということしかないですね。それが出来たと思えたら自分の人生は幸せだったと思えるのかな。
浅見:子どもたちに対する接し方も変わってきましたか。
安本:必然的に変わらざるを得ないですね。根本的な思いは変わっていませんが、子どもたちから見ると、お兄さんから始まって、お父さんと同じくらいのおじさんを経て、今やおじいさんですから。自分から距離を置かなくても、自然にできてきた距離というのがあると思います。だからといって自分から子どもたちとの接し方を変えたということはありませんが。
浅見:塾の立場から塾の存在意義というのはどう思いますか。
安本:進学塾という立場から言うと、塾は学校を選び受験するための勉強をする所です。入試問題レベルの小学校で教えてない勉強をしているということです。そこが塾と学校との大きな違いだと思います。ただ、人格形成が学校にあって塾にはないとは思いません。受験という機会を通しての人格形成。むしろそれが中心かもしれません。塾でやる学習内容はどこの塾でもそれほど差があるわけではない。それを意識して子どもたちに責任を持って向き合っているかで塾の特徴が出てくると思います。そう信じています。
浅見:保護者はどのように塾を使えばよいですか。上手な塾の使い方は。
安本:抽象的かもしれませんが、一緒に子育てをしてもらいたいと思います。預かった以上、受験に対してこちらは責任がありますが、その時に余計なお世話だと言われたり、全て塾に任せますと言われたりしても困るわけです。その子にとって何が一番よいのかを一緒に考えてくれる塾を見つけることが塾を上手く使うことになると思います。
ただ、それに応えられる塾の人間がどれだけいるかを思うと、ほとんどいないと言うのが現状ではないでしょうか。形だけの塾の先生が言う「睡眠時間は何時間までとか、受験生たるものはこうでなくてはならない」ということを信じて、金科玉条のように押しいただいてしまう保護者にも問題があると思います。
そもそも、親は、子どもが受験生としての自覚を持っていて当たり前と思っている。勉強大好きなんて子は例外なのに、その理想と比べて、「うちの子は・・・」となって子どもにあたってしまう。
子どもは基本的に勉強が嫌いという所からスタートしなくてはいけないのに、「うちの子は中学受験に向いているでしょうか」という質問がよくあります。ほとんどの子が向いているわけがない。それを親の責任としてどうするかということから話を始めます。
浅見:親も塾の卒業生になって欲しいと言われていましたが。
安本:なって欲しいというより、親も卒業生になってくれます。最後は龍馬の考え方を理解してもらえていると思います。卒業式には親子で参加してもらうのですが、話を聞いているとむしろ親の方が強烈な思い出を持ってくれているようです。
子どもからすれば自分はおじいさんみたいなもので、親御さんの方が子どもの年齢なんですね。子どもは自分のことをこわいじじいとしか思ってないですが、親御さんにはそれなりに自分の話を感じてもらえているようです。
ただ、子どもは中学受験の後も成長して親から離れていくわけですが、中学受験は親子で臨む受験なので、いつまでも中学受験の時のイメージをいだいたまま、親の方が子離れできないという例もあります。
浅見:子どもの勉強を家で見てくださいということを言うのですか。
安本:言いません。できればいいですけど、それをやっている家庭が普通だと思わないでくださいと言っています。親が見られないから成績が悪いということはありません。両親が共働きでも桜蔭や開成に合格している子もいるわけですから。
今年、確信したことがあります。コロナの対応で例年と違う形を取って功を奏したことが1つあります。前年の6年生との比較を取っていて、今年の6年生は前年の上位生を超える子が一人もいませんでした。ところが、フタを開けてみると前年以上の結果になりました。大きな要因は自習室を9月から開放したことだと思います。昨年はコロナでリモート授業を行ったりしましたが、家にいると座ってはいるが集中することができないのが子どもだということがよくわかりました。
自習室に来て集中して1時間やるのと、家でボンヤリ座っていることの積み重ねが大きな差になるのがわかりました。勉強は究極的には自分でやるものなんですが、子どもは自分でやっているとついつい気がそれたりボーッとしたりするわけです。ところが自習室ではボーっとはできなかった。それが今年の入試結果の勝因だと思います。
今年の6年生はこちらから言われたことを一生懸命やる二流の力はあるが、自分で勉強を管理してやれる一流の力はなかった。でも自習室を使うことで超二流になったと思います。それで志望校以上の学校に皆が合格できたのだと思います。
コロナで授業ができない時もありましたが、自習室の開放も含め、保護者からは塾はやれるだけのことをやってくれたと思ってもらえたと思います。それは、この子たちに親が何を望んでいて、今、何をどうやるかということを、保護者から要求される前にやれたからだと思います。
浅見:普段、子どもたちを見ていないと何がキッカケで伸びたとか、なにが必要なのかというのはわかりませんよね。大手塾ではそれができないから数字でしか子どもを見られないわけです。
安本:保護者会では、龍馬史上最低、これほどできの悪い学年はめずらしいという話をずっとしていました。親は苦笑っていましたが。それが、この結果になったので本当に驚きです。お兄ちゃんがいた親から「兄の時もそう言われたのよね」という話が伝わっているらしいですけれども(笑)。
龍馬では、親と塾の人間という立場を超えて、一家というか、そういう一体感が出来ていると自負はあります。
浅見:保護者にはどんなことを望まれますか。
安本:さっき話したとおり、何のために中学受験をするのかをしっかりと持っていて欲しいということです。ちゃんとした大人に育てるためなのに、そうでなくて一流校と言われる学校に合格することが目標になってしまっていないか自覚していてくださいと伝えています。
やるべきことはちゃんとやる、最後までやり遂げる。そこに中学受験を経験させる大きな意味があると思っています。入試が終わったときに「失敗の経験をさせたかったから中学受験をさせたのよ」と言える親になっていて欲しいですね。そのときに親が「この学校にしか合格できなかったのは恥ずかしい」などと言うと全てが無駄になってしまいます。
浅見:不合格になっても子どもに「いい経験ができたね」と言って欲しいですよね。
安本:それが本当の大人でしょう。
浅見:子どもを見ていて伸びる子はどんな子ですか。
安本:天才と言える子ですね(笑)。あるいは大人の感覚を持っている子です。
二流の子が超二流になることはできるけれども、一流になるには天賦の才がないと難しい。
しかし、伸び方に差はあっても、やるべきことをやるのが一人前の人間の資格です。
苦しくて、やめたいやめたいと言いながらも、最後までやり遂げた子は何か一つ乗り越えているものがあり、それが顔つきに表れます。やり遂げたということが1つの成功体験なんです。
あんな苦しいことを最後までやったのだから、これから何かあっても乗り越えられるという意識。それ1つをとっても立派な大人になる条件を1つクリアしたことになると確信を持って言えます。
浅見:受験生として家庭ではどのように対応したらよいですか。
安本:矛盾するようですけど、放っとかない、甘えさせないということでしょうか。保護者会では子どもを愛してください、愛してもいいけれど信じないでくださいと言います。子どもは自分の都合のいいようにいくらでも嘘をつきますから。信じるに値する人間に育てているわけで、10歳や11歳の子どもを人間的に信じていると言っている方がおかしいでしょうと言います。問題の答を写して全部○をつけて家庭学習を終わりにしている子は普通にいますから。「うちの子はそんなことはしていません。そんなことのないように私が見ていますから」という方もおられますが、ありのままを認めて人としてどうかという視点で付き合って欲しいですね。
ありのままの子どもをそのまま愛してやって欲しい。40人中30番であっても、まずそれを認めてあげて、そこからどうするかを考えてあげて欲しい。次は20番になりなさいというアドバイスしかできないのは頭の悪い大人の証明でしかないと言っています。
受験というとどうしても成績がバロメーターになってしまいがちですが、我が子をそのバロメーターで測ることはもっともやってはいけないことでしょう。頑張った30番と何もしない30番では意味が違う。そこを見ているかが重要でしょう。一生懸命やっても失敗することもあれば、何もしなくてもいい結果が出ることもあるわけです。それを結果だけでほめたりけなしたりすることはおかしいと自分に置き換えてみればわかることなのに、それをやっていませんかと話します。
「今回30番だったけれど、あなたが頑張っていたのは知っているよ」と言ってあげるのが親でしょう。それなのに順位だけにこだわるのは親の頭の悪さが出てしまっていますよね、という話をすると嫌な顔をされます。あの時は嫌なことを言うなと思ったけれど、後から、その通りだなと思いましたという親御さんは多いです(笑)。
浅見:これまでの保護者や卒業生で印象に残っている人は。
安本: 大手塾Aの時のお母さんで、さっき、アンポンといえば青春だと言った鹿児島ラ・サールから医者になった子のお母さんですが、「中学受験をさせようと思ったのは、この子が生まれてきて良かったと思えるように育てたかったからです。親の勝手で授かった命ですから、その子が産んでくれて有り難うと言ってくれるように育ってほしい。そのためには公立の教育内容ではダメだと思った。どうせ行かせるなら寮生活がある鹿児島ラ・サールに行かせようと思いました」と話してくれました。このお母さんが、今の自分を作っていると感じます。
学童が終わって、彼が「お母さん、僕は明日からどうするの」と聞かれたときに「お母さんは明日から教育ママになるから」と言ったら、彼は大笑いしたそうです。その翌日に大手塾Aの入室テストを受け、体験授業が自分でした。そこから付き合いが始まったのですが、このお母さんの考え方と覚悟が中学受験の原点だと思っています。因みにその時の彼のテスト偏差は37だったそうです。
生まれてきて良かったと思える、つまり、一人前の人間に育てる、カッコいい人間に育てることが親の役目だと思い、ラ・サールに進学させ、そこでいろいろな友達や先輩に出会い、いいことも悪いこと(停学くらって反省文も書かされたことがある)も体験する様子を見て、これが彼の青春だと思うとうらやましくて仕方がなかったそうです。
卒業生では、やはり大手塾Aの時の最後の卒業生で、その校舎で1番の子でした。2番から5番の子は開成に合格したのですが、彼だけが不合格に。海城に進学。海城でもずっとトップで、将来NASAに行きたいと言っていた。東大から東大大学院で宇宙工学を。研究室に一人なので研究費を一人で使ってる(笑)。絶対確実だと言われた開成を失敗した彼だが、なによりも海城を愛し、学園祭の実行委員長までやり、充実した学校生活を送る。中学受験の第1志望に不合格になっても、それが人生を敗北に導くものではないという例として彼をあげたいと思います。
浅見:学校選択の話がありましたが、学校を見る上での注意点がありましたら。
安本:将来の大学実績など耳障りのよい話をする学校は気をつけた方がいいと思います。
浅見:好きな学校はありますか。
安本:両極端に見えますが、武蔵と巣鴨は好きですね。徹底して生徒の自主性に任せるか、徹底して手を出すか。それが私学らしいところでしょう。龍馬は有無を言わせずガリガリとやらせて二流を超二流にするところが巣鴨的だと言われることがあります。
浅見:私学に望むことは。
中高の6年間は人生の中でもっとも重要な時期ではないかという気がします。特に、そこで誰と出会ったかが人生に大きな影響を与えると思います。その6年間で出会えて良かったと言える大人がどれくらいいるかが学校の魅力の全てと言ってもよいのでは。
どれだけ魅力的な大人がいるかがその学校の特色ではないかと思います。
浅見:自分深めの学習という取り組みを行っている学校同士の勉強会で、「自分は卒業生として、この学校が行っている取り組みを生徒とともに行いたくて、この学校の教員になりました」という若い先生がいました。私学の先生になる場合、その学校がどんな取り組みをしているのかを知った上で、それに賛同してなって欲しいと思います。=
安本:母校を愛するというのは、学校が有名だから云々ではなくて、自分がその学校で過ごした時間が宝物だったから出てくるものでしょう。開成のどこが好きだと言われて、東大の合格者が多いからという人はいないでしょう。本人の充実度がその学校に行ってよかったということにつながるのではないでしょうか。その意味でも魅力的な先生の多くいる学校であって欲しいですね。
浅見:受験を通して子どもが成長するために必要なことは
安本:落ちること、やり遂げることの2つですね。不合格には、これだけやっても落ちたという痛切なものもありますが、全然やらなくて落ちたという甘っちょろいものもあります。全然やらなくて落ちた子はまさか自分が落ちるとは思ってなくて、落ちて初めてちゃんとやらなかった自分を反省することになります。これだけやっても落ちたという場合、自分の力では及ばないことがあるということを12歳にして知ることになるわけです。この場合は大人の対応が大切です。対応を間違うとずっと立ち直れない傷を負うことになります。それさえ間違わなければ、中学受験は純粋に甲子園を目指している高校球児と同じ敗れてなお美しいと言える経験だと思います。
浅見:中学受験に関わる塾に求められることは。
安本:中学受験の仕事をするわけですから、何のために中学受験をするのか、それはちゃんとした大人に育てるためだということをわかっているべきだということですね。
いわゆる合格屋ではないということです。中学受験は大学受験の近道を獲得するためというのは、何かを忘れている。そういう塾が意外と多い気もします。
中学に進学する子どもたちに、次の6年間で君がすることは誰よりも自分を誇れる人間になれ、自分で自分を誇れるようになれと言っています。カッコいいことを言いすぎかもしれませんが、理想論を語れなかったら塾をやっている資格はないと思います。
浅見:話し残したことがあれば。
安本:コロナで最初の緊急事態宣言が出たときにリモート授業が広まって、リモートは素晴らしいと言っていた塾がありましたが、それならずっとリモート授業をやっていればと言いたくなります。リモート配信技術がその塾の素晴らしさみたいに言うのは語るに落ちてはいませんか。保護者の皆さんには塾や私学の本質は何かをよく考えて欲しいと思います。ぼくは「人」だと思っています。
(文責 アクセス教育情報センター)
もう何年も、この文章はHPからはずしていました。が、この間の「親セミナー~いくつかの場面~」で話題に出て、復活してほしいというリクエストがありましたので、再掲することにいたしました。
十二歳の敗れざる青春へ
【エピソード1】
その知らせが届いた時、誰もが驚き、言葉を失った。
彼はクラスの誰よりもできた。彼が開成中に合格するのを疑う者はなかった。二番の子も三番の子も四番の子もみんな合格した。
しかし、彼だけは落ちた――。
僕は彼らと約束していた。「たとえどんな結果になろうと、必ず自分で報告に来い」と。その約束を守るために、彼がこっちに向かっているとの電話をお母さんからもらった。泣き崩れて発表会場の地面のコンクリートに拳と頭を打ちつけたという。
「先生――」「おう――」。明るく自然に。
「やられたか」「はい」気丈に答える。
「人間はなあ、やられた方が意味があることの方が多いんだぞ」
「……」
「他のみんなは合格した。おまえは入って当然なのに落ちた。ということは神様がおまえは開成に行くべきではないことを教えてくれたんだ。開成なんかじゃなく、おまえを選ぶことができた学校こそがおまえが幸せになる学校だという意味なんだ」。
唇をかみしめて、彼はじっと僕の目をみつめていた。
そこへ、開成に合格した同級生がご家族と共にお礼に来た。教務スタッフの対応で、それと悟った彼の目が泳いだ。
「あいつにちゃんとおめでとうって言って来い!」
「え?」
「友達が合格したんだ。祝福してやるのは当たり前じゃないか」僕は彼を連れ出した。
彼は歩み寄って、友達の手を両手でつかみ、そして叫んだ。
「おめでとう!おめでとう!おめでとう――!」
つかんだ両手を激しく振った拍子に、彼の両目から涙がほとぼり散った。
友人の家族はその場で泣き崩れた――。
「心がバラバラのままでした。でも、もしあの時彼を祝福することができず、隠れていたら、僕はもっとずっと不合格をひきずっていたように思います。あれが僕の原点でした。今、握手できた自分のこと、カッコ良かったと思います。先生はヒデェーけど――」
彼は海城高校に通い、学内で三番と下らなかったそうだ。そして、2005年春、東京大学理科Ⅰ類に合格した。
現在、忙しい学業の傍ら、ありがたいことに龍馬を手伝ってくれている。
【エピソード2】
その子は、一緒に受けた二人の友人と最後の合格発表に来ていた。今まで発表のあった学校はすべて落ちている。一緒にいる三人の中で自分が一番できないことも自覚していた。
「あったー!」一人の友人が顔をクシャクシャにして叫ぶ。
「ない……」もう一人が信じられないふうで、くずれ落ちそうに嗚咽する。
彼女自身は、自分の番号が当然ないことを確認しながら、涙が出ない自分にとまどいを覚えた。
一人になった帰りのバスの中……。
急にポロポロ涙が流れ出すのを彼女は止めることが出来なかった、と言う。
「二人は本当に頑張っていたから泣けたんだ。それに比べて、二人と同じ所を受けたいと思っただけで、自分は勉強なんて怠けていた。結果がどっちになったって、というより落ちるとわかっていたから、ちっとも悔しくなかった。だから、わたし一人だけなけなかったんだ」。
そう思った時、自分の情けなさに涙があふれてきた。
「両親に何度言われても、ただうるさいなあと思うだけで、口答えばかりして勉強しようとしなかった自分――。本当に心から両親にごめんなさい。と思いました」。
彼女は真剣に高校受験に取り組み、第一志望の県立千葉高校に合格。一橋大学を卒業した。
【エピソード3】
その時の僕はこの世で一番不幸な顔をしていた。
何人かの生徒の受験が思うようにいかなかった。周囲の期待とギャップのある結果に逃げ出したい気分になっていただけなのだろう。足を引っぱる俗物の同僚もいた。そいつを張り飛ばして八つ当たりもした(そいつは男のくせに泣きやがった)。
そんな時だった、家でも不機嫌な自分に女房が、
「違うでしょ、一番つらいのは落ちた生徒でしょ。あなたが今一番しなくちゃならないのは、その子たちを励ましてあげることなんじゃないの?自分の実績がどうの、カッコ悪いこと言わないで。先生なんじゃないの。合格させることが先生の仕事なの?私は違うと思う。これからがむしろ本当の先生の仕事なんじゃないの?」
典型的な亭主関白の自他共に認めている僕でも、この時の女房の言葉はこたえた。"きれいごと"と思われるかもしれないが。だが、今も僕はこの時の女房に感謝している。口では一度も伝えたことはないが――。
「結果にかかわらず、君たちは僕の自慢の生徒である」。
無責任かもしれないが、その時のつらい思いこそ、最高の結果なのかもしれない。自慢にはならないが、二十年もこの仕事をしていると、つらい思い出こそが彼らにも自分にも財産になっている気がする。
世間では、未だに小学生の塾通いはひどい、かわいそうなことだという認識がある。僕は全くそうは思わない。
目的を持って生きる青春を彼らが喜々として受け入れている現実がそこにあるからだ。甲子園で全力を尽くして敗れた者を笑う人間はいない。笑う奴らの人生こそ暗くて寂しいのだ。彼らは、たとえ味方のエラーで敗れても責めたりしない。「結果」が幸せなのではないことを知っているからだ。
受験生が百人いれば百のドラマがそこにある。彼らが手に入れるのは「ゴール」ではなく、「スタート」だ。「合格」は単純に幸せである。しかし、「不合格」という結果も彼らの青春には大きな財産である。どちらの結果であれ、彼らに敗北はない。彼らの青春を共有できる自分こそが幸せ者である。
【エピソード4】
次に紹介するお話は、中学受験に携わる人間としての僕の原点である。
筆者は、丸ごと受験生の母。もう二十年近くも前になるので、今とはいささか受験状況が異なる。"原文"をできるだけのまま載せたいので、先に説明をしておきます。
主人公は鹿児島ラ・サールを第一志望とする少年。当時は、開成中の入試は2月1が筆記、2月2日に面接、と二日間に渡っていた。巣鴨中は二次が2月3日で当日夕方合格発表。開成中の合格発表も同じく2月3日の3時くらいだった。そして、鹿児島ラ・サールだが、当時は2月20日過ぎの試験日程で、二日間の筆記試験だった。
〈2月7日〉
"蛇の生殺し"という言葉がありますが、現在の心境はまさにそのようなものです。
洋平は開成中に落ちました……
が、言葉に出さずとも、彼は面接で言われた言葉に一縷の望みを抱いているのです。そして又、母である私も……
……それは何か……
M先生(当時N研広報部長)の、「『開成に入ったら何がしたい?』と聞かれたら合格していることですから」と、攻玉社での面接模試で判定の際、洋平におっしゃった言葉です。
洋平に限らず、他の子ども達は受験前から知っていました。先生は又、公開模試の会場でも、あるいはN研開成受験父母会の席でもおっしゃいました。
一緒に受けた仲間が合格し、また自分が今まで一度とて遅れを取ったことのない子まで合格したこと、本人がこの試験で力を出せなかったのは事実ですが、納得のいかない負け方をしたことを悔いている上に、友達の中では一番長い面接時間であったこと、他の友達と質問内容が、一人だけ違っていたことなどから、自分はボーダーラインにいるのではないか、そしてM先生の言われたこと、過去の事例などから、もしかしたら繰り上がるのではいかという期待……それがわいて当然でしょう?
親にしても同じです。仕事に行くと、たとえ確実に連絡を取ってくださるといっても、もし家にかかってきたらどうしよう……。と考えると外出も出社もままならず、本当につらいです。本人にたとえ失敗しても受かるほどの力があればそれでいいのですが、諦め切れない受験をしてしまったのですから気にするなというほうが酷です。
試験の日、社会で時間を間違えて「3分の1は白紙」と言われたときは目の前が真っ暗……。友達があそこは○○○ここは△△△だなと言っているのを聞いて、書いて間違えれば納得もしようが、書かなかった上、自分にとってもは得意分野だったことがショックで、友達と肩を並べて歩きながら振り向いて私を見、小さく頭を振った時のあのさびしそうな。やるせなさそうな目、顔……忘れられません。
帰宅後、彼がしたことはなんと問題のやり直し……。私なら見たくもないのに、部屋にこもり、"同じ時間配分休みなし"で始めたときは、閉められた部屋の白いドアに向かって私はただ涙が出てたまりませんでした。
そして再び出てきた本人、算数のミスを見つけてしまい、社会はなんと40分足らずで解ききり、ほぼ正解。なんということでしょう。
開成発表の日、巣鴨の入試日……。暗いうち父親と私の三人で家を出ました。
「この時間ならこの季節でも北斗七星が見えるはずだ。あっ あった!すげぇでっかい!……」空に大きな七つ星……まったくきれいでした。
彼のその美しい余裕と、巣鴨は失敗すまいという気迫を感じました。
試験後、会場から出てきたいつもの洋平、自信を静かに腹にためた力強さでした。合格発表……。西日暮里4時半過ぎ、合格者は大きな封筒を持って校門を出てきます。
無いのです。
まわりの音が聞こえなくなって……こんなもの?……という感じ。他の友達の確認をして、電車の中でも妙な興奮状態でした。大塚についてすぐに見にいく気はせず、喫茶店へ……。つとめて明るい洋平……最初は他人事みたいな話しをしていたけど、
「そんなにいい子でいる事はない。言い訳でも、負け惜しみでもなんでもいいから言っちゃえ……出しちゃえ。」
と父親が言うと、たまらなくなったのでしょう。……うつむいて、ひざに顔をうずめるようにして泣き出すのです。必死に声を押し殺し、肩を震わせて……。
十二年の人生で、彼が流したおそらく初めての苦い涙……。親の方もくずれるのを抑えるのが必死でした。
どれほどの時間が経ったのでしょう、外はすっかり暗くなり、父親に、「そろそろ行こうよ……。ケーキ食べられないだろう?」と言われ、頭を上げた洋平、冷めた紅茶を一気に飲み干し、ケーキを口に放り込みました。
帰ってくる受験生とすれちがうのがいやだったのでしょう、
「こっちの方が近いよ……」
と言って別道を通ろうとします。黙ってついていきました。
門の所で江連君(洋平の大親友)と会う。洋平たちは気づかず掲示板へ向かった。江連君に洋平の番号があったことを聞く。彼に開成おめでとうと言っていたら洋平がやってきて二人で握手。合格通知をもらいに行く洋平に向かって暗い校庭中に響き渡る声で、
「川瀬! ラ・サール頑張れよ!」と江連君。
「おう!」と洋平。
後で主人に聞いた話……。
階段を昇りながら必死で歯をくいしばっていた洋平。ニコッと事務の人に笑いかけられ、涙があふれはじめ、
「川瀬君ですね。おめでとうございます。」
これでどっと涙だった。
〈2月17日〉
もうすでに神はレールを敷いてあるのではないかと思う。洋平の行く道は我々には見えていないだけで、ラ・サールの結果ももう決まっているように思う。
一週間、はっきりいって奇跡を待った。そのとき、ふと、受験勉強を始めた頃の日記を読んだ。そして何故我々が洋平を公立ではなく私立へやろうとしたのか……その原点をみつけ、思い出した。
私たちはその時、開成、ラ・サールといったトップ校のことは頭になかった。ただ、彼を"いい男"にしたい。スポーツと勉学と友情、そして豊富な経験に基づく教養を得させたいと……
そのためには公立のカリキュラム、学校生活では無理と判断したのだった。しかし、勉強を進めていくうちに、彼の努力で開成、ラ・サールを狙える力がついてきたということだ。目的がそこにあったのではなく、努力の結果がそこに見えてきたということか……
ここのところの自覚を忘れ、やはり開成病になっていたんだね。
「洋平止めよう。繰上げを待つなんて、あなたもお母さんもおかしかったね。どうかしてた。第一志望はラ・サールなんだもの。明日からまた頑張ろう」
……結果はもう用意されていると思う……
〈2月20日〉
朝、羽田へ送る。
どんな結果でも受けようという素直な気持ちと、諦めきれない親の見栄が絡みあって複雑な思いの私に比べて、静かな表情の洋平。
〈2月21日〉
朝、鹿児島よりの電話。
……パンツ忘れちゃった(自分で支度をしていったので)! 大笑いをする。大丈夫だ。
夜、鹿児島よりの電話。
……力を出せたと思う。
〈2月22日〉
朝、鹿児島よりの電話。
……パンツ買ったよ。元気で行ってくる。
〈2月23日〉
電報を受け取るため、早めに帰宅。
洋平は、英語〈当時、卒業生のためにあった中学準備講座)に行くかどうか迷っていた。
「あなたが自分の力をすべて出した……と、さわやかな思いがあるなら行きなさい。もし落ちていたとき、家にいたってことは自分に恥じることだし、卑怯だと思うよ」
「うん、わかった。N研へ行くよ」
と、靴を履きかけたときに電話……。N山先生からだった。合格の報だった。
鹿児島の先生が見て下さり、本部に連絡があったとのこと。M君(いっしょにラサールを受けた塾の同級生)にも早速知らせてあげた。父親にも知らせる。「よかったぁ……」の一言。
信じていながらも、正式の電報が来るまでの三時間は長く、落ち着かなかった。
教室へ電話。
「おめでとうございます。よかったですね。本部からすぐ連絡があったんですよ。今、安本先生がいらっしゃいますから代わります」
一方的にはずんだ事務の方の声に代わって先生は声を詰まらせて、
「終わりました……」
「川瀬が一番いい入試をしました。落ちて、苦しんで、そして最高の結果を出しました。何から何まで彼にとっては最高の経験。幸せな奴です」
先生のおっしゃった通りだと思います。このお言葉は、本人、我ら両親にとって最高のねぎらいとごほうびでした。
小さい頃から、努力すれば必ず自分のものとなる、と教えてきました。運動実技、遊びの技能、勉強……。しかし、中学入試は、努力は必ず報われるとは言い切れない余りにも大きな挑戦……。楽しく勉強していた彼の、2月3日以降の日々が本当の入試だったように思います。
子どもを励まし、指導してくださった先生方、友達の温かい友情、そして本人の努力……。これらが子どもを成長させてくれました。
この日々の思い出は切なくなるほど愛しい。子にも親にも素晴らしい宝物となるでしょう。
〈 後 記 〉
日ごろから事あるごとに記録している、我が家のノートに書き留めてあったものです。塾の父母会や学校説明会、お弁当のメニューまで。読み返すとまるで昨日の出来事のように思われます。
このようなドラマは中学入試をしたどのご家庭でもあることでしょう。事実、入学後の生徒を見ていると、どこかで傷ついた子どもが多いのです。思い出しても胸がしめつけられるのは親のみかもしれませんが、十二歳の子が、しっかりと青春したことは確かです。
そして今、私は後に続くいろんな子どもを青春にひきずりこんでいるところです。
川瀬洋平 母
【エピソード5】
先立って、「十二歳の敗れざる青春へ」に「蛇の生殺し」(エピソード4)を載せたいと川瀬に連絡したところ、彼から丁寧な手紙が届きました。第1章の最後にこの手紙を載せさせていただきます。たかが塾講師の幸せを伝えたかったからです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
安本 満 先生
拝啓 新緑の候、ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。
さて、大変遅くなりましたが、"蛇の生殺し"の原稿を送付いたします。
HPに載せる可能性があるとのことでしたので、勝手ながら電子化したもの(CD)も同封させていただきました。と申しますのも、母がこの原稿を作成した当時は、まだパソコンが普及しておらず、古いワードプロセッサを使って作成したものでしたので、電子化されたファイルがありませんでした。そこでこの機会に、僕が原稿を見ながら打ち込み、ワード形式に保存しなおしました。その際、若干、文章の体裁を整えておりますが、話の筋に影響は無いと思います。同封のCDに保存しておりますので、ご活用いただければ幸いです。なお、データー活用のCDは、ご自由にお使いになってください。
ところで、僕は、来春いよいよ東京で就職し、活動の本拠地を関東に移します。思い起こせば、現在僕のいる九州には、中・高・大+αで計15年間も住んでいたことになります。これまでの人生のうち、半分以上を両親と離れて生活してきました。しかし、遠く離れた両親にはいつも支えられていましたし、その温かい存在を忘れたことはありません。今回、"蛇の生殺し"を自分でパソコンに打ち込みながら、当時はよく分からなかった親の優しさというものを、つくづく感じました。また、受験を戦う小学生に接する安本先生のスタンスを思い出し、当時、カリスマだった先生のブレないポリシーの一端を改めて感じることができたように思います。安本先生に教わる子どもは幸せな奴です。
また朋友の江連ですが、ここ数年福岡で勤務していましたが、今春から東京に異動になりました。先々月のことですが、まだ福岡にいた江連夫婦を僕の妻と一緒に訪ね、一晩、四人で酒を飲み交わしました。17年前の同じ頃、別々の中学に進むことになった僕らは、まるで昨日のことのように思い出される当時の様子について、僕は江連のことを彼の嫁さんに、江連は僕のことを僕の嫁さんに伝えるようにして、熱く語り合いました。それは、とても幸せなひとときでした。江連本人は、相変わらず、頑張っているところを人に見せず結果だけを残すスタイルを貫きながら、前へ進んでいるようです。
20年前はまだ生意気で憎たらしい小僧だった僕らも、社会に出て数年がたち、それぞれ結婚し、今年で"三十"になります。中学受験を戦っていた当時、それぞれの偉大な親に支えられ"青春"していた僕らも、いまや一家の主として家庭を持ち、"而立"の年を迎えています。今後は、生涯の伴侶である妻とともに、それぞれの親に感謝しながら、"第二の青春"を追い求めたいと思っています。
わが青春の師、安本先生の、今後のご活躍を祈念しております。
最後に、言っても聞いてくださらないのは分かっていますが、言います。
どうか、お体ご自愛ください。
敬具
平成18年5月1日
川瀬 洋平
「リビングふなばしならしの/リビング千葉」記事
フリーペーパー「リビングふなばしならしの/リビング千葉」2018年6月2日号に掲載された記事です。
以下のリンクを押してご覧ください。別ウィンドウで開きます。
「この人に学びたくて行く所。」
それが塾のたたずまいであると思っています。
したがって、我々の言葉よりもシステムやデータを必要とされる方は、会員に募集するつもりはありません。
そういう塾に行かれるべきです。
国語も算数も理科も社会も、究極的には人生そのものに触れていくために学ぶものです。
の方がはるかに大切だったと思います。
同じ勉強をするなら、先生を選んで、信じてやっていくべきです。
龍馬の授業を直接受けてみて下さい。
道化師もいればお人好しもいます。一生モテそうにない奴も。
しかし、人を妬んで足を引っぱるような腸の腐った人間はひとりもいません。だれが何と言おうと、自分を生きるカッコよさがあると思っています。
どうか他塾の授業を見て来て下さい。比べた後に結論を出してください。他塾の授業の方がより魅力的であるなら、そちらを選ぶべきだと考えています。
なぜなら、
塾の魂(いのち)は先生であり、授業だからです。
1999.4.12
国語研究会龍馬 設立(一期生)
創立者 安本満が、当時の最大手塾日能研最上位クラス担当講師3名をともなって創立。今のビルの隣で、規模は現在の4分の1くらい。5年生でもっていた6名が移籍。各々、開成・麻布・海城・鹿児島ラサール・学芸大竹早・女子学院・フェリス女学院に進学。この年、新4年生の初募集の広告展開。キャッチフレーズは、「塾とは、先生のことを指す」「龍馬には役者もおれば乞食もおるが、はらわただけはきれいだぞ」で、新聞広告と駅貼りポスター。予定定員40名以上を確保。
樋口義人氏・三渕衡一氏・金廣志氏・浅見均氏という業界超大物を後見とし、現在に至る。
2000.6.1
有限会社龍馬進学研究会となる(二期生)
安本は、主宰という名誉職名を戴き、授業の少ない理社に経営を任す。二期生となるこの年は、Aクラス8名。開成・駒場東邦・早稲田他、市川6名、東邦8名、渋幕4名合格。
2001.8.8
現在のビルに移転(四期生)
全学年40名以上2クラス体制の確立。この年の御三家は、麻布1、雙葉2、千葉は、市川12、東邦12、渋幕7。
2003.8.30
初の龍馬祭開催(五期生)
以後今年まで、他塾と一線を画する独自の名物企画として夏期講習終了時に開催される。(卒業生たちの一番の思い出に100%挙がる)
この年は市川中26名受験23名の合格だった。
2004.6.30
安本、正式に代表取締役兼主宰に就任(六期生)
以後、現在に至る。
この年、市川ショック(合格者1000人減)。1月中は東邦・市川・渋幕で渋幕が最多合格。2月定員の少ない二次で東邦・市川ではとりかえし、2桁合格キープ(東邦は後期全合格者20名中6名が龍馬)。
2005~2009
生徒数が学年50名超、60名超に至り、薄まるのは不本意と、入室制限をかけることに。
八期生は東邦18名合格。御三家男子は、開成2・麻布1。他、渋幕は7。以後男子はコンスタントに御三家合格。桜蔭は、9年間進学者0。念願の桜蔭が10期に一気に3名合格。
もし北海道転居者がなければ確実に4名合格だった。以後桜蔭をはじめとする女子御三家も連続で合格出る。
2010~2016
十一期で開校時以来初の40名を割る卒業生(37名)。以後しばらく40名弱の生徒数が続くが、経営的には安定。
十二期は、男子御三家(開成1、麻布2、武蔵1)プラス桜蔭で5名。市川10、東邦12、渋幕6だった。(39名中)
十七期は開成・麻布・桜蔭・女子学院・市川11・東邦11・渋幕4。(38名中)
2017~2022
再び40名以上在籍する安定期に入る。二十二期はコロナ禍の中、史上最弱学年と言われながら、麻布・早慶他渋幕4名。
二十三期生は、女子御三家+豊島岡に5名進学した。男子は武蔵等。
2021~現在
安本が2021年脳梗塞発症。更に2022年大腸癌ステージIVが発見され、回復の見込みなしとなる。役員で龍馬解散の話が出、募集を控える。しかし、まさかの奇跡の回復で、来年度より本来の募集人数に「超難関校向け進学塾として完全復活宣言」をする。
中学受験を考える親御さん、現在中学受験生をもつ親御さんを対象に、セミナーを開催いたします。
塾に通う前に何をしておけばよいのか、中学受験はどういう世界なのか、各々の私学の本当の情報等を中学受験界の権威から、各科目の勉強法等を授業担当講師から、中学受験を実際に経験された親御さんの体験談からお伝えする教室です。
「龍馬」は中学受験対策のコースです。
小学校4・5・6年生から中学受験対策として本格的に学習していきます。
2024.9.25
毎年、千葉県の主要校並びに都内校の先生に来塾いただき、それぞれの学校説明会を開催させていただいております。
中学受験学習塾の龍馬進学研究会の合格実績です。
毎年スローガンのキャッチコピーを掲げて、目標に向かっていきます。
入試報告会の動画や卒業生の声など紹介もしているので、合格までの道のりがわかります。
龍馬進学研究会
〒274-0825
千葉県船橋市前原西2-21-8 松沢ビル2F
047-470-0059